あるとき、劉邦が部下の韓信にたずねました。
「わしは、何万人の将だろうか?」
「多くても十万人ほどだと思います」
「そちはどうか?」
「多ければ多いほどよい働きができます」
劉邦は苦笑します。
「なぜ十万人の将であるわしの部下に、兵が多ければ多いほどいいというそちがいるのかな?」
「とのは兵に将たる方でなく、将に将たる天賦の才能をお持ちだからです」
劉邦はいくさが弱いひとでした。項羽は滅法強いひとでした。
しかし項羽の兵は飢えて逃げ、将は報酬がないので寝返り、負け続ける劉邦に人は集まり続け、項羽が西で勝てば東が敗れ、東で勝てば西が寝返り、ついに四面楚歌に陥ります。
- 2008/10/11(土) 07:17:25|
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そういえば、麻生さんのオフィシャルサイトにまだメアドが載っていた頃、なんとなく漢の高祖劉邦についてのエピソードを送ったような気がわずかにします。送ってないかもしれません。(?)よく覚えていません…記録は残っていませんから…
漢の劉邦が、楚の項羽と天下を争っていた時のことです。劉邦が、部下の一人に優秀な人材を集めるにはどうしたらいいかを聞きました。
「項羽は部下を思いやること深く、病気とあれば見舞い自ら看病するほどでその情に人が集まります。しかしケチで報酬や爵位を出し惜しむので人が離れていきます。
殿は気前がよく、金銀も役職も誰もが納得するように与えるので人が離れませんが、大勢のいる前で罵倒したりからかったりする悪癖があるため人材が寄り付きません。この癖を治し、人材を丁重に迎えることになされば間違いないでしょう」
劉邦はこれを受けて改め、項羽は改めなかったために百戦百勝の韓信や大軍師の張良などの人材は項羽を離れて劉邦の元に集まり、劉邦は天下を得たと言われています。
どうやら今、麻生さんは自腹で気前よく人材に高級料理などをおごっているようです。(苦笑)
マスコミは「金満首相」などと書いているようですが…セレブがお金を使わないでためこんでいたら、庶民の所まで回ってこないという一面もありましょう。
- 2008/10/10(金) 22:55:43|
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「政治議論板」での発言を記録しておきます。
終戦時、アメリカ以外の連合国はほとんどが天皇を戦犯にしろと主張し、アメリカ世論も大勢は同じ。閣僚でも対日強硬派と対日融和派が熾烈に論争し…次第にソ連の脅威が認識されはじめて「日本を二度と立ち直れないように」派は敗北。無条件というタテマエのまま天皇制維持の条件がひそかに合意され、日本は反共の前線基地にとアメリカの政策が移りました。最終的にはマッカーサーが先帝と会い、「私のことはどうなっても構わないから国民のことをお願いします」と言われて、占領統治にこの人物は不可欠だと思った瞬間に決まったようです。直後に帝は皇后さまと全国を行幸され戦災慰労をしてまわられ、怒りの矛先を向けられるかと各位が心配するなかで各地で歓迎され民心が鎮まったと聞いています。
その後、天皇の地位を巡り日米でやりとりがあり、ほぼ明治憲法のままの地位を続けようとの日本側の主張は退けられ「象徴天皇制」へと移行しました。
- 2008/09/15(月) 03:09:30|
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『この小牧山移転にはあるエピソードがある。清須から北方へ移転するという噂が織田家中でささやかれ、誰もが不服に思っていた。そこで信長は一計を案じ、小牧山よりさらに北方の丹羽郡二ノ宮山(現・愛知県犬山市楽田地区二ノ宮の本宮山)に城を築き移転すると布告した。果然清須城内は反対一色となった。信長は反対意見が十分に出たころを見計らい、家中の意見を吟味した結果として、移転先を小牧山に変更することを申し渡した。すると、今度はほとんど反対意見もなく、皆小牧山への移転に同意したという。』
ウィキペディア「小牧山」より
いわゆる福田政権の「静かなる改革」とはこの信長が本拠地を移す際に用いたとされる上のような手法で行われているのだろうと思います。
すなわち、閣僚を去った石破さんや渡辺さんは「二ノ宮山へ」と言う役割だったのだろうということであり、与謝野さんも国交相としての谷垣さんもそのように大きく言って反対させ、福田さんが間を取ると。カエサルの失敗を受けた後継者アウグストゥスが元老院を手なずけた手法でもあり、三浦がひそかに福田さんのことを呼んでいる「偉大なるしらぱっくれ」(グランディッシモ・シムラトーレ)らしい「見事なる欺き」(ペリッシモ・インガンノ)なやり方だと思います。
そして、麻生さんの役割は?
毒舌です。(断言)
わかりやすく、激突する。主張する。切って捨てる。放言してしまう。怒らせる。笑い飛ばす。ナイショって言ってみる。(笑)
時には世論の味方。時には自民党の味方。時には官僚の味方。時には中韓の敵。(苦笑)
ほいでもって、福田さんが間を落とすのであります。みんなホッとしてしまう。
ドキドキハラハラ、しかして気付けば改革は静かに着実に進んでいるのであります。
- 2008/08/04(月) 03:37:30|
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他のことを書くつもりでしたが、時間と気力がないので寄せたコメントを転記します。
自分でスピーチを書いていたというウィルソン大統領と記者のエピソードです。
記者「五分間のスピーチを書くのにどれくらい時間がかかりますか?
ウィルソン「約一週間はかかるね」
記者「では、三十分の演説なら?」
ウィルソン「約二日だね」
記者「それでは一時間の演説なら?」
ウィルソン「それなら今すぐにでもできるよ」
政治家にとり簡潔さというものがいかに大事かということでしょう。
- 2008/07/21(月) 04:17:35|
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