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【軍事】八陣の六、偃月の陣

三日月形の布陣。これを偃月の陣と言います。

山岳陣地群防御の陣形と言われ、太平洋戦争初期のフィリピンはコレヒドール要塞の戦いにおいてマッカーサー将軍が用い、日本軍を苦戦させたと聞いています。

どういう風に用いるか、ですが…わかりやすい戦例があります。関ヶ原の戦いの西軍の布陣。後世ドイツから招かれたメッケル少佐が一目みて西軍必勝を言ったという布陣です。これは、鶴翼でなく偃月にしか三浦には見えません。(鶴翼は平地における迎撃陣であり、本陣の位置も不自然です)

この戦い、石田光成率いる西軍は見事に丘陵地に弧を描いて布陣しています。あらかじめ工事がしてあったそうですから、島左近の家康暗殺の策などを光成が却下していることからしてもこの関ヶ原での決戦は光成のあらかじめ考えられた必勝の計画だったと思われます。徳川家康の東軍は平地に半包囲されている形です。
ただ、半包囲されているとはいえ、西軍で実際に戦っていたのは敵正面(左端・西の端)の石田隊や大谷隊宇喜多隊などわずかであり、側面の小早川隊、後方の毛利隊長曽我部隊などは動きませんでした。正面の島津隊も動きませんでした。まさに家康は戦う前に彼らをくどき落としていた(長曽我部は内通しておらず参戦を毛利に邪魔されたらしい)ようで、戦争は戦う前に勝ちを決めてしまうものなのだと痛感します。

そして、皆様ご存じの通り小早川秀秋の裏切りにより西軍は壊滅するのですが…ここで通説に疑問があります。この小早川秀秋。普通優柔不断なオトボケ暗君に描かれます。しかし、彼は征朝戦では勇者として活躍した人物なのだそうです。

とするならば、彼は一体何を待っていたのか。

やはり、本来の西軍総大将の軍である毛利隊が家康を後背から襲うことを心待ちにしていたのではないでしょうか。
しかし、毛利は動かなかった。家康が秀秋側に撃った火繩銃には、そういう意味がこもっていたように思います。

偃月の陣の話しに戻ります。これは地形を利用し、弧の内側からしか攻められない場合に有効です。どこを攻撃されてもその側背を脅かすことができるという訳です。
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  1. 2008/02/28(木) 04:19:07|
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