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【雑感】文学作品および歴史における不可確定真実の推論自由性について

歴史とは本来、ある程度の推論自由性を含まざるを得ないのではないでしょうか。


その前に、文学などの作品における自由性について考えます。

ある文学作品に、正体不明の「仮面の男」が登場したとします。そしてこの「仮面の男」が本当の所何者であるのか、何人か、または一人のそれらしき人物が描かれてはいますが、結局明かされないまま終幕したとします。

さて問題はここからです。この「仮面の男」は一体何者であるのか。作者は当然正体を考えてあるはずですが、明確に描かれることはなかったその真実を絶対的作中真実として確定しても良いのでしょうか?あるいは、作者がそれを誰にも明かさないまま亡くなった場合には?

私は、異端かもしれませんが、「仮面の男」が一体誰だったのかを考えることあるいは論ずることも、作品を味わい楽しむ一部と捉えるべきではないかと思えるのです。


そして、歴史です。


歴史の場合は、間違いなく一つの真実があります。(ただし多面的な場合はあります)

しかしです。

その真実なるものが、もはや失わてしまって現代において知ることができない場合。あるいは文献により日時などが異なり諸説起こりいずれか確定できない場合などが、往々にしてあるのです。

例えば、歴史的範疇に入るのかわかりませんが、恐竜が絶滅した理由。確定していません。

こういった場合において、最有力とされている学説をまるで確定的絶対的真実であるかのように言うべきではないと考えるのです。もちろん、あらたな発見があれば別になってきます。文献や木簡や遺跡などの発見やDNA鑑定などは徐々に歴史を進め詳しくしているようです。

しかし、未だ諸説定まらない場合。

あえてそこを厳密に、最有力学説にいかめつらしい権威を持たせない方が、かえって自然でありかつ楽しいのではないかと思えるのです。歴史に、限定的な自由性を内包させた方が、天動説の過ちを繰り返さないのではないかと、そう思えるのです。
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  1. 2009/07/19(日) 03:30:01|
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